Abstract
本文書は、株式会社旋回の企業理念を論じたものである。
弊社の企業理念は、「ひとつの〈日本〉を生みだすこと。」という一文に集約される。この命題が何を意味するのかを、四章にわたって論じる。
第一章では、現代日本の診断を行う。労働市場における大企業と中小企業の断層は、単なる経済的格差ではない。それは、国民共同体の感覚を侵食し、民主主義の土台を掘り崩す構造的な問題である。
第二章では、カール・ポラニーの『人間の経済』を援用しながら、人間の経済が互酬・再分配・交換という三つの統合パターンから成ることを示す。市場交換のみを特権化する新自由主義は、人間経済の本質を見誤っている。国民単位での互酬と再分配を支えるためには、情緒的な基盤——すなわち健全なナショナリズム——が不可欠である。
第三章では、健全なナショナリズムの本質を「応答責任」という概念で論じる。応答責任とは、共同体のメンバーとしての資格において、国家と同胞の問題に応答する倫理的態度である。そして、この倫理なくして、健全な民主主義は実現しない。
第四章では、弊社の実践を論じる。研究活動と経営コンサルティングという二つの回路を往復しながら、弊社は中小企業の経営者と対話を重ねる。経営者の成長を通じて、応答責任の倫理を社会に根づかせること。これが、弊社の志である。
序言
「ひとつの〈日本〉を生みだすこと。」
これが、株式会社旋回の企業理念である。
一読してこの言葉の意味を即座に理解できる人は、おそらく多くないだろう。それでよい。この文章は、読者に対して親切であることよりも、誠実であることを優先する。親切と誠実は、しばしば相反する。
「ひとつの〈日本〉」とは、分断のない日本ではない。分断のない社会など、どこにも存在しない。そうではなく、人々が分断を自覚しながら、それでもひとつの共同体の成員として互いに応答しあえる日本のことだ。国家の問題をわがこととして引き受け、同胞の喜びや痛みをわがこととして経験する。そのような倫理的態度が人々のあいだに根づいている社会のことだ。
なぜ、経営コンサルタントがこのような命題を掲げるのか。なぜ、研究者がこのような使命を負うのか。その根拠を、以下に論じる。
第一章 分断の時代
現代日本は、分断の時代である。
分断の形式は、ひとつではない。男女の分断、世代の分断、都市と地方の分断。しかし弊社は、大企業の労働市場と中小企業の労働市場の分断に着目する。この分断は、他の分断と無関係ではない。むしろ、この分断が他の多くの分断を規定している、と弊社は考えている。
日本の雇用の約七割は、中小企業が担っている。にもかかわらず、大企業と中小企業のあいだには、賃金水準においても、労働環境においても、雇用の安定性においても、大きな断層が存在する。この断層は、単なる経済的格差ではない。それは、同じ国民でありながら、異なる世界に生きているという感覚を人々に植えつける。国民共同体の感覚を、静かに、しかし確実に、侵食していく。
問題は、経済的な格差にとどまらない。
経済的な格差は、日常感覚の差異を生み、それはやがて政治的認識の差異へと転化する。大企業と中小企業の断層は、人々が同じ国の成員として世界を理解するための共通の地平を徐々に失わせていくのである。
健全な民主主義は、すべての国民が、自己の利益ではなく国家の未来を考えることによって成り立つ。しかし、自らの生活を守ることに精一杯の人々に、そのような倫理的態度を期待することは難しい。分断は、民主主義の土台を掘り崩す。人々が同じ共同体のメンバーとして互いを認識できなくなるとき、公共善への関心は失われ、民主主義は自己利益の集積へと堕落していく。
分断は、経済の問題であると同時に、倫理と政治の問題でもある。
第二章 人間の経済
人間は、市場のみにて生きるわけではない。
この当たり前の命題が、当たり前でなくなってしまったように思う。一九八〇年代以降、新自由主義的な思想が世界を席巻するにつれて、市場こそが人間社会の本質であるという信仰が広まった。競争と効率と自己責任。この三つの言葉が、経済政策のみならず、人々の日常的な倫理観をも塗り替えていった。
しかし、人間の経済は、市場交換だけで成立するわけではない。
経済人類学者のカール・ポラニーは、その遺作『人間の経済』において、人間の経済活動を支える三つの社会統合パターンを提示した。互酬、再分配、そして交換である。互酬とは、対称的な集団のあいだで行われる贈与と返礼。再分配とは、中心への集中と、そこからの分配。そして交換とは、市場における等価のやりとり。ポラニーの洞察は、この三つのパターンがあらゆる時代、あらゆる社会において観察されるという点にある。市場交換は、人間経済の三つの側面のうちのひとつに過ぎないのであって、人間経済の本質では決してない。
この分析は、現代を覆う新自由主義への決定的な反証となる。
新自由主義は、市場交換を人間経済の本質として特権化し、互酬と再分配を市場の効率性を損なうものとして排除しようとする。しかし、それは人間経済のひとつの側面しか見ていない。互酬と再分配を失った社会は、人間が人間として生きるための基盤を失う。社会保険制度は、国民単位での互酬の制度化である。税制度は、国民単位での再分配の制度化である。これらは、市場の失敗を補正するための便宜的な装置ではない。人間経済の本質的な構成要素である。
しかし、ここで問いが生じる。
国民経済単位での互酬と再分配は、いかにして可能になるのか。
見知らぬ他者のために保険料を払い、見知らぬ他者のために税を納める。この行為を支えるのは、新自由主義者が想定するような合理的な計算ではない。自分とは異なる人間を、同一の共同体に属する存在として認識するという、情緒的な基盤である。その基盤こそが、健全なナショナリズムにほかならない。
第三章 応答責任と民主主義
健全なナショナリズムとは何か。
この問いに答えるために、まず不健全なナショナリズムから始めよう。不健全なナショナリズムは、現実からの逃避である。自国の優越性を声高に叫び、他者を見下し、排外主義に陥る。しかしその実態は、現実と向き合うことへの恐怖から目を背けるための、防衛機制にすぎない。不健全なナショナリズムは、人々から倫理を剥奪する。それを内面化した人々は、共同体への責任を忘れ、他者への敬意を失う。
健全なナショナリズムは、その対極にある。
それは、現実と正面から向き合うことだ。
弊社は、健全なナショナリズムの本質を「応答責任」という概念で捉える。応答責任とは、国家の問題に対して、同胞の問題に対して、共同体のメンバーとしての資格において応答する責任のことだ。国家が危機に瀕しているならば、それをわがこととして引き受ける。同胞が苦しんでいるならば、その苦しみをわがこととして経験する。応答責任を背負うとは、常に背筋を伸ばして歩くことだ。自分自身を規律づけるような生き方を選ぶことだ。
応答責任は、義務ではなく、倫理である。
義務は外部から課される。しかし倫理は、内側から湧き出る。応答責任を背負う人間は、誰かに強制されてそうするのではない。共同体のメンバーであるという自覚が、自然とそのような態度を生みだすのだ。そして、この倫理的態度こそが、健全な民主主義の土台になる。
民主主義とは何か。
近年の政治学研究、とりわけ新古典派経済学の影響を受けた研究では、民主主義を自己利益の集約メカニズムとして捉える傾向がある。人々はそれぞれの利益を最大化するために投票し、政治はその集約結果として動く。この見方は、記述としては一定の説得力を持つ。しかし、本来の思想としての民主主義は、そのような人間像や政治像を前提としていない。
思想としての民主主義は、公共善への参加を求める。たとえ自分にとって不利な選択肢であっても、国家にとっての善であれば支持する。そのような倫理的態度を、市民に期待する。これは理想論だろうか。そうではない。この倫理的態度の根拠を、応答責任の概念は与えることができる。
国民共同体のメンバーとしての応答責任を自覚する人間は、自己利益だけを根拠に投票することができない。なぜなら、国家の問題はすでに、自分自身の問題だからである。健全なナショナリズムなくして、健全な民主主義は実現しない。逆に言えば、健全な民主主義を取り戻すためには、人々のあいだに応答責任の倫理を根づかせることが不可欠なのである。
第四章 実践の二つの回路
弊社の実践は、二つの回路から成る。研究活動と、経営コンサルティングである。この二つは、独立した活動ではない。研究の成果が現場に流れ込み、現場との接触が研究を深める。この往復運動のなかに、弊社の仕事の本質がある。
研究活動においては、日本経済の現状分析と政策構想を行う。大企業と中小企業の断層はいかなる構造を持つのか。その断層を緩和するために、いかなる政策が有効なのか。これらの問いに対して、研究者として誠実に向き合うことが、弊社の第一の責務である。現状分析なき実践は、羅針盤なき航海に等しい。弊社は、自らの実践を理論的に根拠づける義務を負っている。
そして経営コンサルティングでは、中小企業の経営者と深く向き合う。
弊社のコンサルティングの核心は、対話への徹底的なコミットにある。執拗なまでに対話を重ね、クライアントの経営者や幹部を巻き込みながら、現状分析を行う。コンサルタントは、特権的な観察者としてではなく、カウンセラーやファシリテーターとして現場と関わる。重要なのは、問題の解決を弊社が担うのではないという点だ。対話を重ねるなかで、クライアントの経営者や幹部が自然とその解決に動き出す。それが、弊社の考える理想のコンサルティングである。
なぜ、経営者の自律にこだわるのか。
弊社は、経営者を「現場において応答責任を引き受ける主体」だと捉えている。そして会社とは、人々が人格的な成長を遂げる場、いわば倫理の学校である。経営者が成長することは、その会社で働く人々の倫理的な土壌が豊かになることを意味する。だからこそ、弊社は経営者に答えを与えない。経営者自身が問題と向き合い、自らの力で解決することを通じて、経営者としての思想と倫理が鍛えられる。その鍛錬の結果として、経営者は人々の模範となるリーダーへと成長する。
中小企業全体の収益力が高まれば、労働市場における大企業と中小企業の断層が緩和される。国民経済単位の統一的な労働市場の創出は、わたしたちが国民共同体の感覚を取り戻すための、経済的な条件を整える。しかし弊社が目指すのは、経済的な条件の整備にとどまらない。企業とその経営者を通じて、応答責任の倫理を社会に根づかせること。健全なナショナリズムの震源として、弊社が機能すること。これが、経営コンサルティングという実践に込めた、弊社の志である。
結文
弊社の社名は、「旋回」という。
あらゆる組織は旋回する。
地球が太陽の周りを公転するように、組織はミッションの周りを旋回する。太陽の引力が地球に向心力をもたらすように、ミッションは組織に内発的なエネルギーをもたらす。しかし、地球が太陽に到達することがないように、組織はミッションに到達することができない。ミッションとの距離は、永遠に失われない。
それでよい。ミッションとの距離を自覚しながら、それでもミッションに向かって進みつづけること。その運動に、組織の生命が宿る。この旋回は、永久運動であると同時に、上昇運動でもある。鷹が上昇気流をつかまえて徐々に高度を上げるように、組織は旋回しながら上昇していく。組織の上昇は、人の成長を意味する。人が成長しつづけることが、組織の旋回運動の本質である。
「ひとつの〈日本〉を生みだすこと。」
このミッションに、弊社は到達しない。しかし、このミッションに向かって、弊社は旋回しつづける。研究と実践を往復しながら、経営者と対話を重ねながら、そして応答責任の倫理を社会に根づかせながら。
弊社は、健全なナショナリズムの震源であることを、ここに宣言する。
株式会社旋回 代表取締役 西 大成
2026年3月13日
<< ホーム
