中小企業診断士試験の回想


私の記事を書いてくれたメディアがふたつある。

ひとつは、同友館が出版する雑誌の『企業診断』。この雑誌は、中小企業診断士や診断士試験受験者をターゲットにしている。「伝説の合格者たち」という連載企画の第97回で、私のインタビューの掲載は、2021年の6月号。

全文は紹介できないので、一部抜粋。

2020年度の診断士試験に史上最年少の16歳でストレート合格を果たした西さん。1次試験は548点、2次試験は278点という高得点での合格でした。高校生の彼がどのように診断士資格を知り、どんな勉強をして合格をつかみ取ったのか、話を伺いました。

同友館『企業診断』2021年6月号、p. 104-105。
インタビュー記事の冒頭より。

——今後はどういったことに挑戦したいですか。

経済学の研究をしたいと考えています。今の新古典派経済学は、実体経済を無視した机上の空論になっています。そのようなものではなく、すべての社会科学と統合した、より実社会に合った経済学を研究したいのです。〔…〕この診断士資格は、研究活動をするための肩書きになるだけでなく、仲間づくりにも役立つ、私にとってさまざまな意味を持つ武器です。未成年なのでまだ登録はできませんが、成人後に登録して、活用していきたいです。

同友館『企業診断』2021年6月号、p. 104-105。
インタビュー記事の終盤より。

もうひとつは、慶應義塾高校の卒業生に配られる雑誌、『JK』。なお、JKというのは「塾高」(慶應義塾高校の略称)であって、「女子高生」ではない。塾高在学中に診断士試験に合格し、取材を受けた。掲載は、2021年の春号。

「学会において、非主流派の論文はとても評価されにくいのが実情です。これから大人たちを巻き込んで経済学を変えていくために、まずは自分の名前に箔をつけたいというのも中小企業診断士を受けた理由の一つです。幼い頃から経営を教えてくれた祖父にも、私の成長と感謝を示せたのではないかと思っています」

慶應義塾高等学校同窓会『JK』2021年春号(vol. 20)、p. 88。

なるほど、高校生の私はこんなことを話していたのか。

私のやりたいことは、2026年現在でもほとんど変わっていない。私はまもなく慶應義塾大学の総合政策学部を卒業し、4月には慶應SFCの大学院に入学する。そこでやろうと考えているのは、日本経済論の研究である。もちろん、計画変更の可能性は少なくないが。どうしてだか、私は、実体経済(日本経済)よりも言説(日本経済論)のほうに関心があるようだ。

話が逸れたが、ここでは中小企業診断士試験を回想したい。

この資格を知ったのは、高校1年生の夏休みだったと思う。内部進学で慶応大学に進めるため、大学受験をしなくてよい。だからこそ何か資格を取りたい、という相談を家族にした。すると父が、中小企業診断士はどうか、と言った。

父は、彼自身の父(私の祖父)が、かつて中小企業診断士だったことを思い出したらしい。そういうわけで、私は祖父にも話を聞いた。自分のなかで、診断士を受けてみようという気持ちが少しずつ固まっていった。いろいろと調べてみて、どうやら歴代最年少合格を狙えることがわかり、その瞬間に受験を決意した。

一次試験は、7科目のマークシート試験。この勉強は、スムーズに進んだ。経営学は趣味で勉強していたから、企業経営理論はよくわかる。マネジメントゲームのおかげで、財務会計も得意だった。対照的に、経営法務と中小企業政策には苦戦した。暗記することが多すぎる。暗記は、苦手ではないが、面白くない。

二次試験は、4科目の記述試験。いわゆるペーパーコンサル。世の中では「二次試験は国語の試験」と言われているが、私は違うと思う。あれは明確に、経営コンサルティングの能力を問うている。たくさんの情報から本質的な情報を見極め、断片的な情報から統合的な情報を構築し、クライアントに分かりやすく伝える。クライアントの行動変容を促すことが、コンサルタントの仕事である。診断士の二次試験は、その職務遂行能力を問う試験だと、私は考えている。

いわゆる「コロナ禍」が、追い風になった。高校1年生の終盤からニュースを騒がせるようになった新型コロナウイルス感染症は、高校2年生の授業を消し飛ばした。おかげで私は、学校に行かずに診断士の勉強に専念することができた。

一次試験の会場は、とにかく寒かった。夏真っ盛りだから、会場が寒いことはないだろうと考えていたが、幕張メッセの空調はすさまじかった。おかげで、試験中に体調を崩し、財務会計の試験時間の半分弱をトイレで過ごすことになった。これでも合格点をとっているのだから、MGに感謝である。

二次試験の記述試験は、あまり記憶がない。相当に緊張していたはずだ。立教大学の教室に詰め込まれた受験者たちが、異様な緊張感を共有していた。私はその息苦しさに堪えかねて、空き時間にはかならず校舎の外に出た。新鮮な空気を吸い込むと、張りつめていた気持ちが幾分かは和らいだ。

口述試験には、学ランを着て行った。周囲の反応が面白かった。その日、私は二度見されるのを楽しんだ。試験官たちも、私の格好を見て驚いたようだった。試験会場の周辺では、中小企業診断士の実務補習に関するチラシや、診断士コミュニティのチラシ、開業支援のチラシが配られていた。試験会場から出てくる受験者たちは、みんなチラシ配りの猛攻を受けていたが、なぜか私はスルーされた。仲間外れみたいで寂しくなったので、「あの、私も……。」と声をかけて、まったく必要のないチラシをもらった。そこでチラシ配りの人たちと雑談して、いい気分になって帰った。

最終の合格発表のとき、私はスキー場にいた。高校2年生の冬で、アルペンスキーのインターハイ予選の前日だった。喜んでいる場合ではない。その日はスキー板の整備とコンディションの調整に専念し、予選に備えた。結局、その年のインターハイには行けなかった。翌年、私は雪辱を果たすのだが、それは別の話。

そして、春休みのうちに『JK』と『企業診断』のインタビューを受けた。それが上述の記事である。有名人になったようで、とても楽しかった。

中小企業診断士は、試験には年齢制限がないが、資格登録は20歳からである。私が合格したのが17歳になったばかりのとき(記録上は出願したときの16歳)で、登録期限が合格から3年間だから、ギリギリであった。20歳になってすぐ登録申請を出して、無事に受理された。

〔現在は、年齢要件は削除されている。〕

登録するには、試験の合格に加えて、実務要件を満たす必要がある。多くの受験者は「実務補習」で要件を満たすが、私は、実務補習ではなく「実務従事」で要件を満たした。当時は、コロナ禍で補助金市場がバブル状態であった。そのため、「中小企業診断士登録予定」の大学生でも、補助金申請支援の仕事なら獲れた。仕事は、クラウドソーシングで受注していた。大学1年生の夏から大学2年生の冬までは、補助金申請支援だけが収入源だった。ここでも、いろいろな経験をした。おかげで、私は補助金政策に懐疑的になった。この仕事は、二度とやりたくない。

中小企業診断士に登録すると、登録証が交付された。運転免許証やマイナンバーカードと同じ大きさのカードである。診断士のバッジは、都道府県の中小企業診断士協会に所属しないともらえないらしい。私はまだどこにも所属していないが、とある都道府県の協会から声をかけていただいたので、いずれそこに入ると思う。

回想は、こんなものでよいだろう。

書いておかねば忘れてしまう。

2026/02/20

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